Compakt Disks トロンボーンのCDの紹介です。
写真か名前をクリックすると演奏者のCDに飛びます。
トロンボーン関係のCDをコレクション中ですが,財布と相談しながら別に欲しいものとの
葛藤の末の購入のため遅々として進みません。
いつでも購入できそうなものも後回しなため,ここに載ってませんがお許しを!
紹介するソリストや団体が増えてきて見づらくなったため,ソリストと団体にページを分けました。

   四重奏団など団体は こちら                
CDの作曲者および演奏者別のデータでは日本一のサイトはこちら 
ソ リ ス ト 経歴
ヨセフ・アレッシ ニューヨーク・フィルハーモニック首席奏者ヨセフ・アレッシ ニューヨーク・フィルハーモニック首席奏者(1985~)。
 7歳から父であるヨセフ・アレッシ・シニアに音楽を学んだ。サンフランシスコ・バレエ管弦楽団で演奏を始めフィラデルフィアのカーチス音楽院入学前にはサンフランシスコ交響楽団のソリストとして活躍した。彼にもっとも影響を与えた教師としては,マイルス・アンダーソン,グレン・ダッドソン,マーク・ローレンスがあげられる。
 ニューヨークフィル入団前はフィラデルフィア管弦楽団で4シーズン2nd奏者を勤め,モントリオール交響楽団で1シーズン首席奏者を勤めた。
 ソリストとしても活躍しており,様々なオーケストラと共演。デビューはニューヨーク・フィルとクレストン作曲の「トロンボーンのためのファンタジー」でであった。
 また,近年は後進の指導にも力を注ぎ,ジュリアード音楽院の講師の傍らインディア大学、カンザス大学、スタンフォード大学、クリーヴランド音楽院、ポツダム大学、ミネソタ大学、ヴァーモント大学の他、イギリス、ロシア、アジアにおいてもマスタークラスを行っている。ウェスト・ポイント・アーミー・バンド、ハノーヴァー・ウィンド・シンフォニー、ニュージャージー・リッジウッドコンサート・バンドのソリストとしてもしばしば招かれ、また、ヴィレッジバンガードオーケストラとも共演している。ソロのCDでは「スライド・エリア」「ニューヨーク・レジェンズ」、97年1月にRCAレーベルよりルースのトロンボーン協奏曲を発表している。

オフィシャル・ページ スライド・エリア

ここではアレッシの活動や彼のデザインしたマウスピースを見ることができます。
ヘニング・ヴィークレーベ ドイツ語がわからないのであとで訂正あり
ウィーン州ノイシュタットに生まれる。
現在 ルートヴィッヒのラインランド州立管弦楽団?のソロ・トロンボーン奏者であり、ザールブリュッケン音楽院の講師を勤めている。
 エルハルト・ヴィッツ教授(ハンブルク)、ウェルナー・シュリーター教授(カールスルーエ)に師事し、奨学生時にブラニミール・スローカー(スイス)、クリスティイアン・リンドベルイ(スウェーデン)に師事した。
 ラインランド州立管弦楽団トロンボーンセクションで結成したトロンボーン四重奏団のメンバーであり、同じBayerRecodsレーベルに四重奏団として「トロンボニッシモ」、「トロンボニッシモⅡ」がある。
スティーヴ・ウィッスラー クリーブランド管弦楽団副首席奏者(1989~ )
センター・シティー金管五重奏団メンバー(1989~ )
1981年にイーストマン音楽学校を卒業し,同年ミュンヘン国際ソロ・コンクールで優勝した。
1988年ヨーロッパに帰国後,音楽家のためのジュネーヴ国際音楽コンクールに於いて第2位入賞を果たした。
トロンボーンをジョン・マーセラス,ネット・メレディス,ミッチ・ロス,ダン・ライヴセイに師事。
シカゴ古楽アンサンブル,ホノルル交響楽団,サンタフェ歌劇場管弦楽団,フェニックス交響楽団で首席奏者を歴任。
1993年からはクリーブランド音楽大学の学部教官であるほか,イーストマン音楽学校やオバーリン音楽院でも教鞭を執っている。
彼の演奏は,所属のブラス・クインテットのアルバム「ブラス・クインテット」,「ストリート・ソング」で聴けるほか,アルバニー・レコーズから発売されているハイ・アンザイエティー・ボーンズ(トロンボーン四重奏団)のアルバムでも聴くことができる。
オフィシャル・ページ
簡単なプロフィールがあります。
自身の所属する金管五重奏団のページの中にあります。
Joel Vaisse ジョエル・ヴェイス
ジョエル・ヴェイス
フランス国立管弦楽団首席奏者
ヴェルサイユ音楽院教授
ミリエール・トロンボーン四重奏団((Quatuor de Trombones Millière)元パリ・トロンボーン四重奏団のジル・ミリエールを中心に2001年11月に結成したフランスのトロンボーン四重奏団)にも所属。

 南フランスのマルセイユに生まれる。1974年に彼の父、アンドレのクラス(有名なトロンボーン奏者 マルセイユのオーケストラの元首席奏者 ジュネーブ国際コンクール第2位)でトロンボーンを始める。
 また、元パリ管弦楽団首席奏者のイヴ・ドゥマール氏にも師事。その後、パリ国立高等音楽院のジル・ミリエールのクラスで一等賞を得る。アメリカ(フロリダ)で勉強した後に、81年パリ高等音楽院に入学。 85年に一等賞を得て卒業。86年マルクノイキルヒェン国際コンクールにて入賞、 88年ジュネーブ国際コンクール第3位入賞。
 トゥールーズ・キャピトル管弦楽団、リヨン国立管弦楽団、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団、パリ管弦楽団の首席奏者をへて、1999年からフランス国立管弦楽団の首席奏者となった。
ヨアヒム・エルザー ベルリン・シュターツカペレ首席ソロ・トロンボーン奏者ヨアヒム・エルザー

ベルリン・シュターツカペレ首席ソロ・トロンボーン奏者(1997年~ )
1961年シュツットガルト近郊のヴィーネンデンに生まれた。
 アビトゥーア(日本の高等学校卒業資格に相当)取得後、シュツットガルト大学でドイツ言語学及びドイツ史を専攻する。その間プライベートでアルミン・ロジン教授に師事する。
 1982年春,ベルリンのベルリン芸術大学で,ヨハン・ドムス教授のトロンボーンクラスに入学し,音楽の勉強をはじめた。
 1984年秋,1984年秋、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団オーケストラアカデミー(カラヤンアカデミー)の奨学生となる。
 1985年にはベルリン放送交響楽団((現ベルリンドイツ交響楽団)ここで言うベルリン放送響は1946年に設立され1956年までRias(Radio In the American Sector)-Sinfonie-Orchesterという名称だったもので、1956年Radio-Symphonie-Orchester Berlinに改称され、さらに1993年にベルリン・ドイツ交響楽団(Deutsches Symphonie-Orchester Berlin)に改称されました。つまり、現在のベルリン放送交響楽団とは関係のないものです。)の首席ソロ・トロンボーン奏者として芸術的キャリアをスタートさせた(1996年まで)。
 オーケストラとの活動の傍ら様々な形態の室内楽活動にに積極的に参加した。
 1996年と1998年にはバイロイト祝祭管弦楽団に首席奏者として参加している。
 トロンボーンのためのオリジナル作品や彼のために作曲された様々な作品を多くのコンサートをソリストとして行った。
 現在,氏はダニエル・バレンボイム率いるベルリン・シュターツカペレの首席奏者を1997年以来務めており、2006年4月からロストック音楽・演劇大学で講師も務めている。
ジョン・キッツマン ダラス交響楽団首席トロンボーン奏者。ミシガン大学で音楽学士号を取り,卒業後タングルウッド音楽祭管弦楽団のメンバーに加わる。アルバート・スポールディング賞も受賞している。兵役はウェスト・ポイントにあるアメリカ陸軍音楽院で務め,バンドのメンバーとして過ごしている。1972年からダラス交響楽団に加わり,1974年から首席を務めている。その後は独奏者としてたびたび同交響楽団で演奏している。ボストン交響楽団,ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団,トロント交響楽団など,数多くの主要オーケストラとも共演している。受賞歴のあるダラス金管五重奏団のメンバーとしても数々のコンサートに出演し,クリスタ・レーベル(Crysta Labe)のS-203にも録音がある。
 キッツマンはアメリカの優れたトロンボーン奏者に師事している。ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場管弦楽団の前首席トロンボーン奏者パー・ブレヴィク,フィラデルフィア管弦楽団の前首席トロンボーン奏者ヘンリー・C・スミス,ニューヨーク・フィルハーモニックの前首席トロンボーン奏者エドワード・ハーマン,デトロイト交響楽団の前首席トロンボーン奏者アレン・チェイス,そしてミシガン大学でトロンボーンの教授を務めていたグレン・スミスだ。
 キッツマンは現在南メジスト大学のメドウ・スクール・オブ・ジ・アーツでトロンボーンと室内楽を教えている。
キッツマン・ネット(オフィシャル・サイト)
かなりクールなデザインで魅了する。
ディスコグラフィーでは自身の所属するダラス交響楽団でのレコーディングの一覧や,演奏活動スケジュールを知ることが出来ます。
また,使用楽器も知ることが出来ます。
ラルフ・ザウアー ロサンジェルスフィルハーモニー管弦楽団首席奏者ラルフ・ザウアー ロスアンジェルスフィルハーモニー管弦楽団の首席奏者,サミット・ブラスメンバー,ラファエル・メンデス金管協会所属。
 イーストマン音楽学校でレミントン(ウォームアップ・エクササイズで有名)と,フィラデルフィア管弦楽団のロバートハーパーに師事。
 オーケストラの経歴は,23歳で小沢征爾のトロント交響楽団に首席で入団。トロント在住の6年間は,トロント大学で教えながらカナダ放送,カナダオペラ,ストラットフォード・フェスティバル管弦楽団などに出演。
 1974年からズビン・メータのロスアンジェルスフィルハーモニー管弦楽団で数多くの録音に参加。
 クリスタル・レーベルから3枚のソロアルバムをリリースしている。 
1932年 セント・モーリスに生まれる。
セント・モーリスの大学に通ったあとジェノヴァ・音楽院に入学し,1957年に第1位の芸術賞?を得た。
 1956年からは指揮者のエルネスト・アンセルメに請われて,スイス・ロマンド管弦楽団の首席ソロ・トロンボーン奏者に就任した。
ローランド・シュノーク?
SORRY NOW SEARCHING オーストラリアのトロンボーン奏者
パースで音楽の勉強を始める。1976年にオーストラリア陸軍軍楽隊に参加し,シドニー,キャンベラ,メルボルンなどの様々なオーストラリアの交響楽団と共演した。1989年にはヴィクトリア音楽大学でのトロンボーン講師の地位を約束された。国際トロンボーン協会会長を務め,コンサート活動同様にセミナーやワークショップでの公演を行っている。
トレヴァー・ジョーンズ
ブラニミール・スローカー ソリスト スローカートロンボーン四重奏団主催者ブラニミール・スローカー 1946年ユーゴスラビアのマリボルに生まれる。リュブリアーナの音楽アカデミーで学び1969年トロンボーン課程を首席で卒業した。その後さらにパリの国立音楽院で首席の栄誉を受けた。1971年ザグレブで開催された国際音楽コンペティションおよび,1974年ミュンヘンで開催された国際音楽コンペティションで1位を獲得した。リュブリアーナ放送管弦楽団,コロンヌ演奏会管弦楽団でソロトロンボーン奏者として活躍。1971年から77年まではスイスのベルン交響楽団,1977年の秋からはドイツのバイエルン放送交響楽団のソロトロンボーン奏者として活躍した。1980年からはソロ活動と後進の指導に専念し、ソロ、四重奏の他、室内楽にも知的な音楽性でアプローチし、積極的な演奏活動を展開。ケルン音楽大学、ベルンコンセルヴァトワール、1986年からはフライブルグ音楽大学の教授を務めるほか、各地でマスタークラスを積極的に行う。多くのレコーディングや教則本の出版も行い、ソロトロンボニストのパイオニア的存在として圧倒的な支持を得ている。
カルステン・スヴァンベ ソリスト デンマーク国立放送交響楽団首席奏者カルステン・スヴァンベア デンマークのトロンボーン奏者。1945年コペンハーゲンに生まれた。9歳の頃より地元のスクール・バンドで演奏し,’66年デンマーク近衛連隊軍楽隊に入り研鑽を積み,’68年に王立近衛兵軍楽隊に移った。そして,’69年スウェーデン王立歌劇場o.の首席奏者となり,’75年からデンマーク放送ライトo.とデンマーク王立歌劇場o.の首席奏者をつとめ,’80年にデンマーク国立放送so.の首席奏者に就任した。すでに’70年代半ばからソリスト,室内楽奏者として国際的な活動を行い,アメリカ各地の大学でマスター・クラスを指導し,’82年にはスカンジナビア室内o.のソリストとしてカーネギー・ホールにもデビューした。’79~88年ヨーロッパにおける世界トロンボーン協会の副会長を務めたほか,多くの作品を委嘱し,初演している。
ワーウィック・タイレル オーストラリアのトロンボーン奏者ワーウィック・タイレル  オーストラリアの若手トロンボーン奏者。
 短期間のうちにトッププロ奏者に登り詰めた彼のこれが最初の録音である。
 1976年10歳でトロンボーンを始める。
 シドニー音楽院でトロンボーンをアーサー・ハッバードに師事した。
 1982~83年には,パン・パシフィック海外奨学生として南カルフォルニア大学で学び,演奏をした。後にオーストラリアでマイケル・マーケイ(現シカゴ交響楽団メンバー)
にトロンボーンを師事した。
 1984年,オーストラリア放送協会主催の器楽・声楽コンクールにおいて最年少のトロンボーン奏者として第1位を獲得(このときの演奏曲目はファースト・アルバムに収録したジェイコブの協奏曲である。)。翌年アデレード交響楽団に史上最年少の首席奏者として入団。
 1988年,国際トロンボーン・コンペティションでオーストラリアの奏者として初めてヨーロッパやアメリカの優秀な奏者を抑えて優勝した(ブラキャナンの協奏曲はそのときの1曲である。)。
 現在はソロ奏者としてアデレード,メルボルン,クイーンズランド,シドニータスマニアなどの交響楽団と共演するほか,最新のキャリアはロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の終身客演首席奏者の地位を得た。 
JoDee Davis ジョディー・デイヴィス
ジョディー・デイヴィス
ミズーリ-カンザスシティ音楽院教授
サンタフェ歌劇場の2番トロンボーン奏者
セルマーのクリニシャンである。
夫はジャズトロンボーン奏者兼作曲家のポール・マッキーである。
アラン・トゥルーデル 1966年モントリオ-ル生まれる。15歳の時からプロで吹き、1986年から89年のシーズンには首席奏者としてモントリオール交響楽団に所属していた。様々な国際コンクールでも優勝し,その中にはモントリオール交響楽団ソロ・コンテストやカナディアン・ステッピング・ストーンコンクールの第1位入賞も含まれている。ソリストとしてヨーロッパ,カナダ,アメリカ,日本,香港などで演奏し,指揮者としても活躍した。浜松サマー・アカデミー,国際トロンボーン・フェスティバルオーストラリア現代音楽祭等に参加。多くの作曲家が彼のために作品を書いている。
 ヤマハのインターナショナル・ヤマハ・パフォーミング・アーティストでもあり,トゥルーデルモデルのマウスピースもヤマハと共同で開発している。
オフィシャル・ページ
ここでは彼のプロフィールが詳しく載っています。
ユールゲン・ハイネル ユールゲン・ハイネルは1944年,ドイツのチューリンゲン州オーエルバッハに生まれた。ドレスデンのカルロ・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学で学び,1965年ベルリン国立歌劇場の首席奏者になった。1980年からはベルリンのハンス・アイスラー音楽大学で教鞭を執っている。ソリストとして多くのオーケストラと協演するほか室内楽にも関心が高い。
イアン・バウスフィールド ロンドン交響楽団首席奏者(1988~)イアン・バウスフィールド ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団首席奏者(2000年10月~)
ウィーン国立歌劇場団員。
1964年 イギリスのヨークに生まれる。
トランペット奏者であった父に指導を受けてトロンボーンを7歳の時にはじめ,12歳の時から国立青少年ブラスバンド?に3年間在籍するとともに,18歳の時までヨークシャ-・インペリアル・ブラスバンドに在籍。在籍期間中にナショナル及びブリティッシュオープンとヨークシャー・チャンピオシップを勝ち得ている。その当時にトロンボーンの教師は,ハレ管弦楽団の首席奏者ダッドリー・ブライトであった。
 1979年アンドレ・プレヴィンがチーフ・パネラーを勤めるシェル協賛のロンドン交響楽団音楽奨学生の資格を得た。1980年にはクラウディオ・アッッバードの指揮するヨーロッパ共同体青少年管弦楽団に参加し,2年間在籍した。奨学生資格を得た彼は,ギルドホール音楽演劇学校の4年のコースを半年で終了し,1983年の3月にはハレ管弦楽団に首席奏者として参加した。
 独奏者として,デンマーク,ベルギー,スイス,ノルウェー,日本,アメリカ,ドイツ,カナダ等を歴訪した。1984~88年ロイヤルノーザン音楽大学で教授を務め,1988年1月からは歴代4人目のロンドン交響楽団の首席トロンボーン奏者に任命された(2000年9月末まで)。
そして2000年9月,英国人にして異例のウィーン・フィル首席奏者,ウィーン国立歌劇場首席奏者に就任した。
ヤマハと共同でトロンボーンの開発プロジェクト(4年間)ににも参加。
 これまでに5枚のソロCDをリリースしている。
ロナルド・バロン ボストン交響楽団首席奏者ロナルド・バロン  ボストン交響楽団の首席奏者(1975~),国際トロンボーン・ワークショップ教官会員,キーストン金管協会教官会員
 モントリオール交響楽団のメンバーとして活躍の後,1970年にボストン交響楽団に入団した。また,13シーズンにわたってボストンポップス管弦楽団の首席も務めている。
 1974年ミュンヘン国際コンペティションで,最高位を分け合った。以来ボストンポップスの演奏会において数多くのソロを受け持ち,またニューイングランド管弦楽団のソロ奏者としても登場したほか,ソリストとしてアメリカ,ヨーロッパ,日本でリサイタルを開いた。
 ボストン交響楽団,ボストンポップスの奏者として数多くのレコーディングに参加するほか,カナディアン・ブラス,エンパイア・ブラス,サミット・ブラスともレコーディングし,4枚のソロアルバムをリリースしている。
 その他ボストン大学や,タングルウッドミュージックセンターでも教えている。
プロフィール・ページ(BSO内)

ついにできました\(^^)/
公式Homepage
ビル・ブース ロスアンジェルス・オペラ・カンパニー,ハリウッド・ボウル管弦楽団,パサデナ交響楽団の各首席奏者。
 ロスアンジェルスの音楽業界で500以上の映画音楽,夥しい数のレコード,テレビ・ショウ,コマーシャルにおよび,20年間のキャリアを誇る。
 ミズーリ州セデーリアに生まれ,ハリー・トロットマンとロバート・カミングスに師事,後にはジョン・ヒルとジョン・マーセラスにも師事している。カンザス大学で音楽教育博士号を,カソリック大学で音楽修士号を,ラスヴェガスのネヴァダ大学で経営学修士号を得ている。米国空軍バンド,ラスヴェガスのショウ・オーケストラを経てロスアンジェルスに移住した。
 その後パシフィック交響楽団,オペラ・パシフィックの首席奏者を務め,ロスアンジェルス・ブラスのメンバーでもあった。
ロスアンジェルス室内管弦楽団の首席奏者も度々務め,世界の主要バレエ団ロスアンジェルス公演の首席を何百回もこなしている。
 現在はUCLA,カリフォルニア大学サンタバーバラ校,ノースリッジのカリフォルニア州立大学で教えている。
アーサー・プライヤー  スーザ・バンドの伝説的トロンボーン奏者アーサー・プライヤー  1870年 9月22日 ミズーリ州セント・ジョセフにあるライセアム劇場の2階で生まれる。6歳の時プラート教授にピアノを学び,バンドの楽器については父親からヴァイオリン,コルネットアルト・ホルン,バス・ヴィオール,ヴァルヴ・トロンボーン学んだ。11歳の時には父親のバンドでソリストとしてヴァルヴ・トロンボーンを演奏するまでになった。
 1892年ジョン・フィリップ・スーザのスーザ・バンドのオーディションを受け,即入団を果たした。
 1895~1903年にかけてスーザ・バンドのアシスタント兼指揮者兼ソロ・トロンボーン奏者として活躍。アメリカ全土の他ヨーロッパツアーにも参加し,各地で絶賛を博す。
 1903年以降は自分のバンドを結成して活動し,録音に,コンサート・ツアーにと活躍した。
 1933年に演奏活動を引退してからは,農村で落ち着いた暮らしをしながら,各地の大学を回ってバンド・クリニックを開いた。
1942年6月17日脳溢血のため死去した。
ブレット・ベイカー グロスターシャー州出身。
ブラスバンドのキャリアは10歳の時に父親にブリームシルバーバンドへ紹介されたときから始まった。
 彼はすぐにライドブルックシルバーバンドへ移った。在籍中に地方の様々なソロ・コンテストで優勝し,1988年,1989年イギリスのジュニアトロンボーンチャンピオンであった。1992年にウィリアムフェアリーバンドに首席奏者として参加するまでは,フラワーズ(グロスターシャー)バンドとイギリスのナショナルユースバンドで演奏していた。
 ウィリアムフェアリーバンドにおいてトロンボーン奏者として成熟した彼は,同年代を代表するソロ・トロンボーン奏者に成長した。
オフィシャル・ページ
ここでは彼の詳しい経歴や活動状況を知ることが出来ます。
ミシェル・ベッケ ソリスト パリトロンボーン四重奏団ミシェル・ベッケ  1954年リモージェに生まれる。
 素晴らしいテクニック,あふれるセンス,独特の音色で,今日を代表するトロンボーン奏者と認められている。
 彼は,トゥーロン,プラハ,ミュンヘン,ジュネーブ等の国際コンテストにおいて第1位を獲得している。オーケストラのキャリアはスイスロマンド管弦楽団のメンバーとしてであり,1975年にはパリオペラ座管弦楽団首席になったが,2度に渡るベルリン・フィルからの誘いは断っている。
 長年に渡りパリ音楽院の教授を務め,1989年からはコロンヌの?で同様の職にある。
 世界中でソリストとして活躍し,多くの現代音楽作曲家が彼のために作曲をしているが,それらの作品はトロンボーンの可能性を再評価する一助となっている。
ベン・ヘームハウツ バンベルク交響楽団首席奏者ベン・ヘムホーツ バンベルク交響楽団首席奏者
1972年,ボンヘイデン生まれ。
初めての音楽教育はロバート・レビューグル?から受けたユーフォニウムのレッスンであった。数年の後にはブラスバンドの中でソリストになっていた。17歳からはトロンボーンをリューベンのレメン音楽院で学び始めミシェル・テイルキンに師事した。5年後には同音楽院を最高位で卒業し,ロッテルダムフィルハーモニー管弦楽団の2nd奏者としてプロのキャリアをスタートさせた。現在はベルギー人として初めてドイツのAクラスのオーケストラであるバンベルク交響楽団の首席奏者として活躍中である。なお,アントワープのフランドル音楽院で後進の指導にも当たっている。今回,ベルギー人トロンボーン奏者としてはじめてソロアルバムをリリースした。
アンドリュー・ベリーマン ハレ管弦楽団首席奏者(1988年~ )アンドリュー・ベリーマン ハレ管弦楽団首席奏者(1988年~ )
8歳から地元のボドウィン・タウン・バンドでとロンボーンを吹きはじめる。後に彼は父親の指揮するグリム・ソープ・ジュニア・バンドやウィリアム・デイヴィス建築協会バンドにおいてのコンサートやラジオ放送でソロをとるようになった。
1978年から80年にかけてはイギリス国立青少年管弦楽団,81年から84年は青年音楽家交響楽団,80年から84年はヨーロッパ共同体青少年管弦楽団のメンバーとなった。
ギルホール音楽演劇学校を1984年に卒業した。
その後アルスター交響楽団の首席奏者を経て,現職にある。
近年はハレ管弦楽団のテューバ奏者アンドリュー・ダンカンが彼のために書いた協奏曲をリジッド・コンテナーズ・グループ・バンドと録音した。この協奏曲の原曲は,フル編成の管弦楽団のために書かれており1994年のハレ・プロムスにおいてベリーマンによって初演されている。
1996年にはアメリカ・デビューを果たし,ソロを披露したほかジュリアード音楽学校,マンハッタン音楽学校でマスター・クラスを開いた。
ハレ・ブラスのメンバーとしても活躍し,指揮活動もはじめている。
現在はロイヤルノーザン音楽大学でトロンボーンの教授も務めている。
SORRY NOW SEARCHING ハイファ交響楽団(イスラエル北部交響楽団)首席奏者
ロシアのトロンボーン奏者
1937年4月15日ウズベク共和国サマルカンドに生まれる
モスクワ音楽院トロンボーン科をP.I.チェマコフ教授の下、卒業
1963年 全ソ音楽家コンクールで優勝
国立ソビエト交響楽団に首席奏者として入団(常任指揮者 スヴェトラーノフ)
指導者としてもモスクワ音楽院にて教鞭をとる
レコーディングについてはメロディアと協力し、ラジオ・テレビのスタジオで多くの録音を残している

 (Thanks! キューピーさん (^_^)/  )
グレゴリー・ヘルソンスキー


ブレア・ボリンジャー
ジョージア州出身。
1986年よりフィラデルフィア管弦楽団のバストロンボーン奏者となり現在に至る。
 カーティス音楽院でフィラデルフィア管弦楽団の前任者チャールズ・バーノンと,前首席奏者のグレン・ダッドソンに師事した。
 ソロ奏者としてはフィラデルフィア管弦楽団やアトランタ交響楽団との共演している。また,1986年のフィラデルフィア管弦楽団上級学生音楽コンクールにおいて,このコンクールが始まった1934年以来初のトロンボーン奏者として優勝するという栄冠を勝ち得た。
 国内外(チリ,中国,オランダ,イスラエル,日本,ポーランド,アメリカ全土など)のトロンボーン会議ではゲスト・アーティストとしてリサイタルや,マスター・クラスを開いている。
 レコーディングにはカナディアン・ブラスとのガブリエリや,フォア・オブ・ア・カインドとしてのトロンボーン四重奏曲集などがある。
 また,カーティス音楽院,テンプル大学ではで学部教官として後進の指導にあたっている。

トーマス・ホルヒ
バイエルン放送交響楽団首席奏者
1964年マイン州ナハウに生まれる。コロンヌ音楽院で学び,1984年から86年にはトロッシンゲンの音楽院で学んだ。
 卒業後ベルリン・フィルハーモーニー管弦楽団の第1ソロ奏者となりカラヤンが在任終了までその地位にいた。
 1990年からはロリン・マゼール指揮のバイエルン放送交響楽団の首席奏者となって現在に至る。
 1989年には,ドイツ人奏者として初めて「ARD」国際コンクールで優勝した。
 ジャーマン・ブラス,ミュンヘン・トロンボーン四重奏団のメンバーとしても活躍中である。
オフィシャルページ
ディスコグラフィーや活動予定などが見られます。
ダニー・ボンヴァン ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団首席奏者 ミュンヘン・トロンボーン四重奏団メンバーダニー・ボンヴァン ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団首席奏者(1982年~)
1964年スイスのクラウス-モンターナに生まれる。
トロンボーンをベルン音楽院でブラニミール・スローカーに師事した。
 リーズ国際コンクールで1等賞を受賞したのをはじめ,数々の国際コンクール(ヴァルセリ?,トゥーロン)で優秀な成績を収めた。
 1986年にはスイス音楽家協会からスイス独奏者賞を授与された。クーモ?,フィンランド等の様々な音楽祭に招待され,多くのソロ・リサイタルを開いたほか,スイス・ロマンド管弦楽団,ローザンヌ室内管弦楽団,ベルン交響楽団といった有名な管弦楽団にソリストとして出演した。
 17歳の時(1982年)からセルジウ・チェリビダッケ指揮のミュンヘン・フィルハーモニーで首席奏者に指名され現在に至っている。
また,ミュンヘン・トロンボーン四重奏団メンバーである。
ジャック・モージェ パリ・オペラ座管弦楽団首席奏者ジャック・モージェ  パリ・オペラ座管弦楽団首席奏者
 15歳でトロンボーンを始め,ルーアン音楽院を1978年に卒業後,リヨン高等音楽院で,ミシェル・ベッケに学び,その後,ジル・ミリエールの薫陶を受けたパリ音楽院を1985年に1等賞で卒業した。
 1986年,マルクノイキルヘン国際音楽コンクールで名誉賞受賞。1989年にトゥーロン国際音楽コンクールで3位入賞。
 ニース・フィルハーモニック管弦楽団で首席奏者を勤めたあと現在に至る。
 1990年以降フランス内外の様々な演奏団体に独奏者として招かれるなど,活動の場を拡げている。
 また,パリ高等音楽院で後進の指導に当たるほか,ヨーロッパ内外の夏期講習会などのマスタークラスで講師を務めている。

 オフィシャル・ページ

本人がWord97で作っているらしい。
CDも買うことが出来る。
しかし10枚も出ているとは知らなかった・・・。
ダグラス・ヨー ボストン交響楽団バス・トロンボーン奏者ダグラス・ヨー ボストン交響楽団 バス・トロンボーン奏者
カリフォルニア州モントレーに生まれる。
ニューヨーク州のヴァリー・ストリームで育ち,9歳からトロンボーンを演奏し始めた。
ホウィートン大学(イリノイ州,ここで彼はトロンボーンをエドワード・クラインハマーに師事した。)と,ニューヨーク大学を卒業した。
ボルティモワ交響楽団団員,高等学校の吹奏楽団の指揮者を経て,1985年5月からボストン交響楽団の団員となった。
 現在はそのほかにボストン大学及びニューイングランド音楽院で教えている。
 ボストン交響楽団,ボストン・ポップス管弦楽団,ボルティモア交響楽団で,独奏者となっている。なお,それぞれのオーケストラでソリストとして演奏した最初のバス・トロンボーン奏者であった。
 何10編ものバス・トロンボーンやオーケストラ演奏に関する論文の著者である彼は,バス・トロンボーンやトロンボーン・アンサンブルやブラス・アンサンブルなどの為の編曲を出版している。
 彼は,セルパン奏者でもあり,ボストン交響楽団でセルパンやバス・トランペットが必要な場合は演奏をしている。

 オフィシャル・ページ

 本人が作成しているが日本語の宗教色の強いページもある。(^^;;
 ボストン交響楽団の録音で自身が参加したものの一覧表有り。


ニールス-オーレ・ボ・ヨハンセン
ヴィボルクFDF管弦楽団のトロンボーン奏者として音楽家のキャリアを始めた。
 1980年に女王近衛騎兵連隊に雇われ,1984年オーデン?のフューネン?近衛騎兵連隊のソロ・トロンボーン奏者として活動した。
 1986年にはアーハス?交響楽団に入団し,1993年からは首席奏者である。
 1985,1986,1992年ニューミュージック管弦楽団でバストロンボーンを演奏し,1988年からパリのIRCAMで,ベニー・スルーチンに学んだ。
  1990年にはトーマス・ジェンセン奨学金を授与され,1992年にはアーハス・シンフォニエッタの一員として音楽評論家賞を授与された。
 オーケストラでの演奏活動の傍ら,積極的デにンマークの音楽界に関与している。また,そのあいだにアーハス?シンフォニエッタの創設者及びトロンボーン奏者になり,ノルウェイのアーハス及びクリスチャンサンドの音楽アカデミーで教えている。
ソリスト,室内楽奏者,インストラクターなど広範に活動している。


キリル・リバルスキ
 マケドニアのスティップに生まれる。スティップでは第2の音楽教育を終了した。
 ドラグシア・ミスコヴィク教授のもとリュブリアーナ・ミュージック・アカデミーを卒業し,ザグレブ・ミュージックアカデミーに於いて音楽学位を得た。1972年にリュブリアーナ・ミュージック・アカデミーで第1等賞を受賞し,1976年にザグレブのフェデラル・ミュージック・コンペティションで第1位を受賞した。1977年にザグレブのミュージック・アカデミーのコンテストで「ドラゴン勲章」を受賞するなど国内外に於いて様々な栄誉を受けた。
 近年はスコーペ?に住み,フリーのトロンボーン奏者として活躍するほか,ユーゴスラヴィア,フランス,オーストリア,ロシア,ブルガリア,ポーランド,チェコ・スロヴァキア,イタリア,スイス,ドイツ等各地で演奏活動をおこなう。ウィーン,モスクワ等でマスタークラスを開き,いくつかのレコーディングを行っている。
 
クリスティアン・リンドベルイ ソリストクリスティアン・リンドベルイ  1958年スウェーデンに生まれる。
 ストックホルムのロイヤル・アカデミーに入学,同時にストックホルム王立歌劇場管弦楽団に入団。その後ソロ奏者としての研鑽をを積むためイギリスの王立音楽院に留学,ついでロスアンジェルスで勉強を続け,83年25歳の時にストックホルム・フィルと協演してソリストとしてのデビューを飾った。また,世界的に権威のあるフランク・マルタン・コンクールで第1位を受賞したのを始め多くのコンクールで優勝し,世界の注目を集めていった。
 <トロンボーンのパガニーニ>と呼ばれるほどの超絶技巧の持ち主であり,深い音楽性,幅広いレパートリーでもって,トロンボーンの無限の可能性を追求している希有な存在のソリストとして全世界で活躍を続けている。シュニトケ,武満徹など現代を代表する作曲家たちが彼のための作品を多く作曲している。

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ここでは彼のディスコグラフィーは勿論のこと,彼の名を冠したマウスピースの販売やほとんど全ての曲ではないのかと思われる(笑)レパートリーの紹介があります。
ノーマン・ロー ブラック・ダイク・ミルズ・バンド
ノーマン・ロー
アマチュア演奏家( 本職はコンピュータ会社に勤務。)
現在Glossop Old Bandのトロンボーン奏者。またSalford College で講師を務め,指導者としても活躍中。
 1955年にスコットランドのSteringshireに生まれ、地元のブラスバンドでトロンボーンを始めました。
 最初の先生はユーフォニァム奏者であり父のJames Law氏。
National Brass Band of Scotlandで首席奏者を務めた後、「ブラスバンドに専念するため」イングランドに南下。
最初のバンドは「GUS Footwear Band」(現Fodens Courtois Band)その後「Brighouse & Rastrick Band」に移籍。
 1985年に「John Foster Black Dyke Mills Band」(現Black Dyke Band)に首席奏者として呼ばれ、在籍中には全英オープンやナショナルチャンピオンシップなどの大きなコンテストで優勝すること数回。この間「The Best Trombone Player of the Year」に選ばれたこともありました。
 1990年には、「Europian Championships」で優勝。翌月日本ツアーを行いました。同年2ndセクションの「Hepworth Band」の指揮者として迎えられ(練習場と家が近かった)、すぐに1stセクションに昇格、翌年「指揮活動に専念するため」と「家族の時間を持ちたい」ため「John Foster Black Dyke Mills Band」を退団。
 「Hepworth Band」で活躍する傍ら、「Sellers Engineering Band」(現Sellers International Band)に副指揮者として参加。
 しかし、ここでもまた「Hepworth Bandの指揮活動に専念するため」と「家族の時間を持ちたい」ため2年で退団。
 1999年には「Hepworth Band」を全英でも異常にレベルの高いヨークシャー地方でChampionセクションに昇格させました。
 昨年からはミッドランド地方のChampionセクションバンド「Glossop Old Band」に移籍したようです。
 トロンボーンは、「Yorkshire Building Society」のレコーディングで呼ばれたりときどき吹いているようですが、ブラスの名門Salford College で講師を務めたりして専ら指導者の道を進んでおります。
 なお、現役中(本人はいつでも現役と言ってますが)の
 使用楽器はKing 3B マウスピースはVincent Bach の 6 1/2A印象深いCDとしては、「150Years of the John Foster Black Dyke Mills Band」「Complete Champions」(CHANDOS版)があります。
 現在もプロ奏者ではなくアマチュアの音楽愛好家として活躍しています。
 本人にとってみれば、音楽は「生活の一部」でしかなく、しかし、「生活に欠かせないもの」だということである。
なんと,ノーマン・ロー氏に師事した野沢さんからメールをいただき,詳しい経歴をいただきました。
m(_ _)m
右の経歴はそのメールの文面です。
(2001年8月現在)
マーク・H・ローレンス  サンフランシスコ交響楽団首席奏者(1974年~)
 同楽団の首席奏者になる以前は、デンバー交響楽団で首席奏者を勤め、エンパイヤブラスクインテットのメンバーでもあった。
 カーチス音楽院の卒業生である彼は,初期にはピアノとチェロを学んでいたが、17歳のときにコルネットの名手であったレナード・B・スミス(吹奏楽のためのファーストデビジョンの作者)の指揮するデトロイト・コンサート・バンドのメンバーとなった。
 彼は国際トロンボーン会議、国際金管楽器会議に主賓として招かれるほか、ソリストやセルマー株式会社のクリニック講師として活躍している。
 現在、サミットブラス、シカゴ・ミュージック・オブ・バロックのレギュラーメンバーであり、サンフランシスコ音楽院やキーストン金管楽器協会で教鞭をとっている。

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ここではローレンスのCDや編曲楽譜を買うことが出来ます。
また,サンフランシスコ交響楽団で参加した録音の一覧表があり,どこでトップを吹いているか解ります。
アルミン・ロジン ソリストアルミン・ロジン ミュンヘンでトロンボーン,歌唱,指揮を学んだ。また,エルランゲン-ニュルンベルク大学で音楽学と音楽史を学んだ。21歳ですでに,バンベルク交響楽団のソロ・トロンボーン奏者となり,1968年にはシュツットガルト放送交響楽団の同じポジションに移籍した。1980年シュツットガルト大学でトロンボーンと金管楽器の室内楽の教授に就任した。
 ソリストとしては,きわめてユニークなキャリアを積んでいる。
 きわめて初期にトロンボーンの演奏会をLPに録音し,トロンボーンをヨーロッパのコンサートホールでのソロ楽器として確立させた。彼のために国際的に名の知れた作曲家達が30以上の作品を作曲している。
荻野 昇 東京交響楽団首席奏者荻野 昇  14歳からトロンボーンを始める。
 80年武蔵野音楽大学卒業,同大学卒業演奏会に出演する。
 81年高橋達也と東京ユニオンジャズオーケストラに入団,第1トロンボーン奏者を勤める。90年より東京交響楽団の首席トロンボーン奏者として入団。同楽団の首席奏者達による”ザ・トウキョウシンフォニー・ブラスクインテット”のメンバーで,93年にはベルギーのアントワープで行われた’ジャパンフェスティヴァル’に出演し絶賛された。また,ジャズ・オーケストラ”篠崎秀樹とスウィート・ファンタジア・オーケストラ”のメンバーとして2枚のCDに参加している。
 85年より現在までに(98年)6回のコンサートを東京にて行い,幅広い音楽に積極的に取り組む活動は各方面から注目されている。
 トロンボーンを渡辺正明,故 木下利男,関根五郎の各氏に師事。日本トロンボーン教会常任理事を務めている務める。

神田めぐみ
1975年、名古屋に生まれる。
6歳よりピアノを始める。
10歳の時、小学校のブラスバンド部に入部。
13歳より、トロンボーンを三輪純生師(NHK交響楽団、桐朋学園)に師事。
1991年、桐朋女子高等学校音楽科に入学。
1993年、「第一回日本トロンボーン・コンペティション」第一位、日本吹奏楽協会会長賞受賞。アジア・ユース・オーケストラに参加。
1994年、桐朋女子高等学校音楽科を首席で卒業。米国に留学。クリーブランド音楽院にてジェームス・デサーノ師(クリーブランド管弦楽団・首席トロンボーン奏者)に師事。
1997年、クリーブランド音楽院を首席で卒業。米国ニューヨーク州アルバニー交響楽団首席トロンボーン奏者に就任。
2000年、ニューヨーク州ロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団に移籍。イーストマン音楽学校講師に就任。
2002年、ミルウォーキー交響楽団首席奏者に就任。

全米史上トップの女流トロンボーン奏者として注目されている。
田中敏義田中敏義  神戸生まれ。4才よりヴァイオリンを始め、13才よりトロンボ ーンを始める。大阪音楽大学音楽学部卒業。R.サウアー、B.スローカー、D.ウィック、L.アイザクソンの諸氏、エンパイアブラス、ベルリンフィルブラスアンサンブル両団体の公開レッスンを受講。
 ソリストとしても吹田市吹奏楽団、神戸高校OB吹奏楽団をはじめ数々の吹奏楽団と共演。
 1987年、ドイツへ留学。ベルリンにて研鑽を積むかたわら、北ドイツ祝祭管弦楽団契約団員としても活躍。またベルリン現代音楽会等に多数出演。
 1995年、阪神淡路大震災後、直ちにハーバーランドブラス(旧名:ブラスアンサンブル’95)を結成し、「励ましのコンサート」~子供達に笑顔を~ボランティア&チャリティープロジェクトを被災各地にて展開。その活動は、朝日、毎日、読売、産経、神戸各新聞社、朝日放送等のメディアにも取り上げられた。
 クリニシャンとしての信頼も厚く、オーケストラ、吹奏楽各団体のトレーナー、指揮活動、コンクール審査員等、後進の指導、音楽教育活動にも情熱を傾けています。
トロンボーンを土橋康宏、呉 信一、K.H.ドゥーゼ・ウテシュの諸氏に師事。
 現在、四国大学短期大学部音楽科非常勤講師。 ハーバーランドブラスメンバー。国際トロンボーン協会(ITA)、 関西トロンボーン協会各会員。 神戸市在住。NIFTY 「Trombone Player's Patio」に、ハンドル名「音工房」で出没中!
 オフィシャル・ ページ
 ここでは,とてもためになるオンライン・トロンボーンレッスンや所属するハーバーランド・ブラスの活動紹介,そして趣味のワインについてセンス良くまとめられています。
 田中さんから相互リンクの依頼を受けました。m(_ _)m
Kan Nisida  西田 幹 西田 幹(Kan Nisida) 彦根市出身。東京コンセルヴァトワール尚美を卒業後,「宮間利之&ニューハード」「岡本章生&ゲイスターズ」等のビッグバンドに在籍後フリーとなる。
 その間,旧ユーゴスラビア,ハンガリーで行われた「国際JAZZ FESTIVAL」に出演。J.J.JHONSON,SLIDE HAMPTON,DIZZY GILLESPIEらと共演する。
 現在,自己のトリオを組みライブハウスなどでの演奏活動を続けるほか「早川隆章&T-SLIDING」「内田日富&TROMBOYAGE」「MUSIC MAGIC ORKESTRA」「角田健一BIG BAND」「東京JAZZギルドオーケストラ」「松尾明&TAKE TEN」等で活躍。
 吉田憲率いるラテンバンド「HAVATAMPA」においては,’98年11月にメキシコ,キューバの2週間にわたる単独公演で各地で絶賛を浴びる。
また,「カルロス菅野&熱帯JAZZ楽団」のメンバーとして3枚のアルバムに参加。’98年ニューヨークで行われたJVC JAZZ FESTIVAL「MUSICA LATINA」に出演。’99年6月26日には「熱帯JAZZ楽団」のニューヨークはカーネギーホールの出演。その後「松尾明&TAKE TEN」の中国は北京公演と今まさに一線で活躍するベーストロンボーン奏者の一人である。
 また,自己のトロンボーン四重奏団「TRONBONES UNLIMITED」を率いての演奏活動の他,国際室内楽コンクールに参加するなどジャンルにとらわれない幅広い音楽活動を続けている。

  オフィシャル・ページ

 ここでは,活動スケジュールを知ることが出来ます。
 本人が作成しているので是非いってみましょう。
 西田さん本人からメールをいただきました。m(_ _)m
西山健治 ソリスト西山健治(Nishiyama Kenji) 1947年1月17日,滋賀県大津市生まれ。
大阪学芸大学特設音楽家トロンボーン科卒。
古賀充G,自己のグループ等で京阪神で活躍後,77年上京し,「原信夫と#&♭」,「高橋達也と東京ユニオン」のソリストを経て,80年よりフリーとなりスタジオ・ワーク開始,ジャンルにこだわらず「良い音楽は必ず認められる」を信念として現在に至る。
 
山本浩一郎 メトロポリタン歌劇場管弦楽団トロンボーン奏者
山本浩一郎
メトロポリタン歌劇場管弦楽団 2nd奏者(1996年~ )
1971年 東京生まれ。12歳よりトロンボーンを始め父辰夫(元日本フィルハーモニー管弦楽団トロンボーン奏者)箱山芳樹各氏に師事。88年に東京音楽大学付属高校に入学し伊藤清氏に師事。
10代からすでに国際コンクールをはじめとする数々のコンクールに入賞。88年,オーストラリアで行われた国際トロンボーン・コンクールでは第4位(このときの1位は上で紹介しているワーウィック・タイレル),日本管打楽器コンクール第3位入賞。91年には同コンクールにおいて優勝および大賞受賞。翌92年にはプラハの春国際コンクール(チェコ)でディプロマ賞受賞。90年,バーンスタイン音楽監督によるパシフィック音楽祭に参加。同年よりブタペスト・リスト音楽院(ハンガリー)に入学しトロンボーンをH・グスタフ,T・スターン各氏に師事。在学中にハンガリー・フェスティヴァル・オーケストラに参加。91年より3カ年にわたりC・リンドベルイ氏のソロ・セミナーに招待参加。94年よりジュリアード音楽院(ニューヨーク,アメリカ)に入学し,ヨセフ・アレッシ氏に師事。96年200人の厳しいオーディションを突破し,日本人初アメリカ・メジャー・オーケストラ金管楽器奏者としてメトロポリタン歌劇場管弦楽団に入団。現在現職の傍らニューヨーク・フィルハーモニック,メト室内管弦楽団等に参加。ソロイストとして日本全国の音大をはじめとする多くの地域でクリニック,マスタークラス・リサイタルなどを行い,「トロンボーン道場」音楽監督,アメリカ国内ではグランドティータン音楽祭管弦楽団メンバーとして活躍,各地の音楽院や大学からクリニシャンとしても招かれている。
ゴート・ヴィクダル ソリストゴート・ヴィクダル  ゴート・ヴィクダルはノルウェイ州立音楽アカデミーと,ニューヨークのマンネス大学で学んだ。
 デビュー・パフォーマンスは1988年「?」でであった。
彼はアークティック金管五重奏団のメンバーであり,トロムゼー?のコンセルバトワールで講師を勤めている。また,1985年からスタヴァンガー?交響楽団で,バストロンボーン奏者を勤めている。
 四重奏団などの団体は こちら


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